7月23日に東京オリンピックが開幕してテレビでも諸々の競技の中継を視聴できるようになり、街に出ていないのでリアルな世間の雰囲気は分かりませんが、茶の間でも特別な時間が始まったことが感じられます。

少し前に、観光にとっての本番はオリンピック後だからとにかく早く終わってほしいと書いていて、その主張は今でも変わりないですが、血のにじむような努力を積み重ねたアスリートたちの躍動を見ていると「観客が入っていれば」、「コロナがなく多くの外国人が訪日してくれていたら」などと色々と口惜しさを感じます。

そしてそんなことを考えながら映像を眺めていたら、「東京タラレバ五輪」―そんな言葉が頭に浮かんできました。言うまでもなく数年前に放映されたドラマとその原作の漫画「東京タラレバ娘」からの言葉遊びですが、これほどまでに世界中から「タラレバ」が集まった国際的イベントは初めてなのではないかと思います。

「コロナがなければ」はオリンピックに限らず、約78億人いる世界の人口のかなりの部分がこの1年半ほどの間に毎日のように思ってきたことでしょうし、少なくとも旅行観光産業の関係者についてその割合は世界中のほぼ全員でしょう。

とはいえ、この連休中、同じ都内にある私の実家で両親や弟夫妻、生まれたばかりの甥っ子と会う機会が会ったのですが、私以外で旅行観光産業に直接関わっている人物はなく、率直なところ温度差がありました。非旅行観光産業では業績好調な会社もあり、そうした立場の人々と「コロナがなければ」は共有されていたとしても、その仮定の先の「こうなっていたのに」はかなり異なっているのだろうとも思います。

まあもちろん、「こうありたい」という思いが個々人によって異なるのは当たり前ではあり、大切なのはコロナ後の日本の進路について立場を超えて一定の合意が得られる理想像を探ることでしょう。旅行観光産業について言えば、少子高齢化の中での観光立国という文脈が変わることはない一方、地域への負担軽減や温室効果ガスの排出量削減などオーバーツーリズムの問題はより真剣な議論が求められるようになるなど色々と課題は見えており、しっかりと同じ方向を向けなければ前には進めません。

そしてその意味で、憂いのない弟の発言を聞いていて一つ感じたのは「今は楽しまなければ損」なのだろうということです。どれだけ現状が苦しく先が不透明だったとしても、「病は気から」とか「笑う門には」とか、あるいは逆に「負の連鎖」などとも言うように、目の前にある喜事を可能な限り屈託なく受け取っておいて損はないでしょう。

本音としては、日本人選手の活躍が日本社会にとって一定のガス抜きに繋がっている一方で、例えば欧米では航空座席数がコロナ前の9割近くまで回復しているのに対して日本ではアウトバウンド/インバウンドともに回復への道筋すらないことなどを考えると色々と忸怩たる思いもしますし、もししばらく寝ていたらオリンピックが終わっていて往来再開への動きが見え始めている、ことが可能なら私はそちらを選択します。

しかし、それでもスヌーピーの名言で知られるように「配られたカードで勝負するしかない(You play with the cards you’re dealt)」わけで、今はアスリートたちに声援を送り、その活躍に元気をもらいたいと思います。(松本)