24日から27日までの4日間、高知を旅行してきた。今年1月には運良く取材でシンガポールを訪れる機会を得たものの、プライベートでの遠出はコロナ後で初。妻は、「飛行機の搭乗にはパスポートが必要だったっけ」と混乱していたほどだった。
何かをしばらく我慢した後にそれを再び味わうと、以前は感じとれなかった微細な陰影や機微が見えてくるものだが、今回の旅でもその素晴らしさを強く実感することができた。出発前から帰宅後まで様々な場面で「自分はどのように旅をするのか」、「自分にとっての旅行はどのような意味を持つのか」など、以前であれば考えなかったような物事を自ずと確認しながらの4日間となり、その大切さを初めて認識したのだ。
筆者はホテルの現場にいたころを含めると20年以上この産業に関わってきているわけだが、実のところ旅行は好きであるものの友人やパートナーの発案に応じて行く程度で、愛してやまないというほどの思いの深さはなかった。そしてこの業界に留まってきたのも、旅行が好きだからというよりは、サービスをすること、人の役に立つことに喜びを感じていればこそだった。
しかし今回は、20ヶ月近く鬱屈した気分でい続けたところからの反動と、先述した「我慢による感覚の鋭敏化」によって、自分の精神に旅がどう作用するのかを生々しく観察できてしまった。特に美しい自然が持つ癒やしの効果は凄まじく、清らかに澄んだ仁淀川を前にした時には暗く曇っていた視界がみるみる洗い流され、まばゆい水面に心が踊りだすことがはっきりと実感された。
覚醒剤を使ってしまうとその後は覚醒剤という単語を聞いただけで「一瞬で脳からよだれが出る感じ」になると聞いて恐怖したが、今回の旅行は言ってみれば自分にとってそれと同じような経験だった気がする。きっとこれからは旅への飢えに気付いてしまい、居ても立っても居られなくなるに違いない。
世間一般でもこれからは「リベンジ消費」で久しぶりの旅行をする人々が大勢出てくることになるが、程度の差はあっても同様の衝撃を受ける人が少なくないのではないかと思う。もしそうだとすると、コロナ後の旅行観光産業はその意味でも大きな変化を遂げることになるだろう。
そして以前から書いているが、コロナ後の世界では行動制限が突然見直されるといった不安から、旅行会社のサービスへの期待が高まることが予想されている。現時点では瀕死状態の業界ではあるが、旅行業に目が向き正当な評価と対価を得られる可能性があるという点では千載一遇の好機であると言える。
その貴重な機会を無駄にしないために必要なのは、正確な情報を提供できトラブル発生時にも即応できる体制だ。その実現にはテクノロジーの活用など様々な要素が必要となるが、これからの期間に旅行会社のスタッフが自ら率先して旅行することも重要だろう。実際にコロナ禍の旅行を体験しなければ分からないこともあるし、「旅行しても大丈夫!」、「めちゃくちゃ楽しかった!」というメッセージを発信するだけでも価値がある。
また、この業界で働く多くの人が人員削減や給与カットの憂き目にあい、辛く苦しい時間を過ごしてきたはず。そうした苦難に苛まれてきた人々にとって、旅はきっと高い効き目を発揮するだろう。
おそらく国境が開放されるにつれて海外でもFAMツアーや優待旅行などの機会が増えてくるはず。コロナ禍で懐事情に不安があったとしても、多少無理をしてでも旅に出ることを提案したい。(松本)