政府の新型コロナウイルス対策分科会会長として日本でも有数の有名人となられた尾身茂さんが「そろそろ人々の行動制限だけに頼る時代は終わりつつある」という発言をしたというニュースが届き、それに対して「遅すぎだ」という批判が出ているという報道も出ています。
確かに私も1年以上前の前職の頃からそれを主張してきましたし、ようやくと言いたい気持ちは強いですが、実際のところ国家レベルの責任を負う立場を想像すると、ワクチンの効果が確認されてその他諸々の知見も集まってきた今のような段階でしかできない判断もあるのだろうと思うところはあります。また、諸外国でも同様の発信がされている国は今のところシンガポールなどごく少数ですので、むしろしっかりと時宜を得た発言と歓迎すべきだと思っています。
逆に腹が立つのは一般メディアの報道姿勢で、「◯◯さんが『A』であるべきだと言っていた」と識者の発言を借りて時の人を批判し、その結果として状況が「A」になったら、今度はまた別の人の発言を取り上げて反対の「B」に焦点を当てるような報道を繰り返すのは本当にどうにかするべきです。今までさんざん慎重であるべきと煽ってきたわけで、それが正しいことだと信じるなら、尾身さんの今回の主張も、それに対する「遅すぎ」という意見も批判的に取り上げるべきでしょう。
公平性、中立性、反権力は言うまでもなく極めて重要ですが、何でもかんでも反対の意見を書けば良いというものではありません。壊れたCDのように状況を堂々巡りにさせて、社会と読者・視聴者を不幸にするのが役割だと思っているのでしょうか。
私もメディアの一員ですが、旅行観光産業への貢献を信念として情報発信を続けており、アクセス数だとかなんだとかこちら側の事情でそれを変えることは基本的になく、どうしてもそうせざるを得ない場合はそれを明示します。
こうした問題は、大きい組織になると一筋縄でいかないとか色々あるのでしょうけれども、それでも「公器」とすら言われるメディアにおいて、当事者が「何をしたいのか」「どうありたいのか」をはっきり示せないのはどうなのでしょうか。英語で「Show the flag」、日本語でも「旗幟鮮明」と言いますが、メディアに関わる各位には、自らの立場を信念を持って示すことをしないまま何がしたいのかをお聞きしたいところです。
そもそも、コロナ禍がこのような姿となって長期化した一因は間違いなくメディアにあり、例えば政治に対しては根拠に基づいた科学的な判断を求めながら、自分たちはその日その日で最も悪化した数字(感染者数、死者数、重傷者数など)を取り上げて事態をより深刻に見せるというやり方は、我々のような立場の国民を本当に苦しめました。
ある意味でコロナ禍はそうしたメディアの影響力の強さを再確認する機会となったともいえ、ポストコロナの世界でも我々はそうした影響力と向き合いながら過ごしていくことになります。逆にいえば、メディアの論調が変わりさえすればあっという間にリカバリーに向けた動きが本格化していくはずです。
なお、ここまでマスコミ批判を書いてきましたが、ネット上でマスコミを「マスゴミ」などと罵っている匿名の皆さんのほとんどとはまったく相容れません。確かに批判を受けて当然の部分はありますが、自分にとって都合の良い、耳に心地良い情報しか信じようとせず、自らを省みることも一切せずに一方的に他者を攻撃するような投稿は、それこそがネット上のゴミだろうと思います。(松本)