明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、新年である。
昨年の今ごろはシンガポール出張を控え、ようやく海外に出られるようになったという喜びや期待感と、感染が増加していくなかで本当に行けるのかという不安を両方抱えながら準備をしていた。そう考えると「今年こそは」の期待感と、感染増と制限強化への失望感が混在する現在の心境は昨年とまるで同じ、むしろまがりなりにも往来再開を前に進めようという意欲が感じられた昨年の方がマシなような気もしてしまう。
新年早々ネガティブなことを書くのはどうかと自分でも思うが、ここに来て「まん延防止等重点措置」が適用される県が出はじめるなどポジティブな話題が少ないし、そもそも業界内に空気を読まずに強く主張する会社や個人が少ないなかでこういう役回りも必要と考えて思ったとおりに書いていく。
業界関連の年頭所感もざっと目を通してみても、「2022年」を「2021年」や「2023年」にしてもかなりの部分がそのまま通用しそうなものが多く、でまったく得心が行かない。
例えば、国土交通大臣の「感染状況を常に見極めながら、コロナ禍により深刻な影響を受けている観光と公共交通の確実な復活を図るなど、必要な施策を講じてまいります」などというコメントはなにも言っていないに等しい。国が「復活を図らない」「必要な施策を講じない」なんてことは基本的にはありえないわけで、さらに最も重要な「感染状況の見極め」にもなんの具体性もない。
観光庁長官のものも同様だが、「政府全体での水際措置の段階的な見直しに応じて、今後インバウンドをどのように迎えることができるか検討してまいります」との一文からは、インバウンドについては年内にはっきりとした回復を実感させるつもりがなさそうであることは読み取れ、その点では目を引く。
さらに、政府に注文をつけつつ官民連携で回復を主導してほしい日本旅行業協会(JATA)も当たり障りのない言葉が並んでおり、むしろ「会員各社一丸となって観光業界の『再生』を目指して全力で取り組んで…」という部分は、コロナ禍で大手と中小の会員間の隔たりが顕在化したことを考えると白々しく感じてしまう。
また、「尚、コンプライアンスの徹底は言うまでもありません」という一文は当然昨年の醜聞のことを念頭に置いたものと思われるが、文章中では取ってつけたような唐突さで、炎上対策の要である「何も出てこなくなるまで積極的に叩かれサンドバッグに徹する」か「批判されてもなにがあっても一切なにもしない」のどちらも外してしまっている。
年頭所感なんて当たり障りがないのが当たり前、という考え方は理解しており、通常の年であれば年明け早々にこんなケチを付けたりはしない。しかし、今は業界関係者にとって平時ではない。政府や役所、業界団体の「リーダー」に「リーダーシップ」を求めるのは極めて自然な話だろう。新型コロナウイルスが存在しなくなることは少なくとも当面はないのだからいい加減にウイルスと共存するニューノーマルに切り替えなければならないし、特に旅行観光産業はそれこそ一丸となってそれを希求しなければならないのだ。
隣の芝生は青いというが、今週ご紹介した英国での旅行観光産業の存在感や扱われ方、政策決定や議論の透明性がうらやましくて仕方がない。
なお、コロナ禍が落ち着いたとしてもこの業界は別の感染症や天変地異、テロなどのイベントリスクに付き合い続けなければならず、その脆弱さはもはや気付かないふりもできないほど明白。筆者としては旅行観光のみの一本足打法には未来がないという結論に達しており、今年はそれを解消できるかどうか、できなければどう身を振るかの1年と捉えているところだ。(松本)
差し障りのない年頭所感だろうが怒りを込めたメッセージだろうが、所詮業界人とその周辺しか見ていないエコーチェンバー。
国民をアホとか愚純とか言って世論との対話から逃げ続け、政治を動かしてなし崩し的にGoToや規制緩和を期待していたところ、岸田さんが国民目線の「まともな」首相だったためあてがはずれたのが今。
俗に「医クラ」と呼ばれる医者や専門家のように、Twitterで業界外に意見発信していた業界人が、はたして旅行業界にどれだけいたのでしょうね。
医クラや専門家も反ワクチンのようなアンチから滅茶苦茶叩かれてますからね。
リオープンしないことに苛立つ旅行業界関係者がゼロリスクと揶揄する日本人の8割が、一年で開発されたワクチンを副反応を承知で打った。一体なぜでしょうか?