「人工知能(AI)」という言葉が登場したのは1956年で、1960年代にはすでに人工無脳とも言われるチャットボットも誕生していたらしい。その当時がAIの第1次ブームで1980年代に第2次を迎え、そして第3次が2000年代から現在まで続く一大ブームだそうだ。今やAIという言葉もその能力も、かつてないほど暮らしに身近になっているし、もはや意識することもなく恩恵に預かっているケースも多々あるのだろう。
先日、普段見ないニュース番組を付けていたらニュースの読み上げをAIの合成音声がしていて、言われて初めて違和感に気付くくらいのクオリティで驚いた。調べてみたら製品も色々あるようで、こちらのサイトでは、AIバーチャルアナウンサーに好きなテキストを発話させることができ、しかも感情などのパラメータまで調整して試せるのでおもしろい。下の動画は有料と無料のソフトを聴き比べできるもので、有料の優秀さはもちろん無料でここまでのものが利用できるようになっていることにも気付かされる。
AIによって仕事が奪われるという話が聞かれるようになってしばらく経つが、こうして見せられると今すぐにではなくてもそう遠くないうちに多くの役割が代替されていくであろうことは容易に想像できてしまう。
AIとは直接関係ないが、同様に人間の役割について考えさせられるのがセルフレジだ。会計だけ自動の場合もあるが、バーコードの読み取りからすべてセルフのものも増えている。最近はセルフレジに長い列ができて有人レジはまばらという状況を目にすることもあり、手間が少なくて待つ必要もないのにそれでもセルフを選ぶ人たちの考えが分からずにいる。
また先日もそんなことがあり、セルフレジに5組以上客が並んで有人レジにはゼロだったのだが、こちらの場合は有人レジが現金のみであるのに対しセルフレジはカードとモバイル決済対応だったことが理由だった。有人レジにはスタッフが手持ち無沙汰の状態で立っていたが、自分がその立場だったらとつい考えてしまう。
これらの少ない例から普遍的な何かを導き出すことはできないが、間違いなく言えることは消費者は何らかの理由があって選択をしているということだ。そしてまた「人がサービスを提供する」こと自体には大した価値がないことも断言していいだろう。
セルフレジの使い方がわからないとかいう理由で有人レジを選ぶ人はいるだろうけれどもそうした部分の改善は日進月歩であり、逆に人が相手だと場合によっては不快な思いをすることすらあるわけで、そう遠くないうちにセルフレジの方がファーストチョイスとなるような気もする。旅行観光産業でも同様で、ただ機械にもできることを「代わりに」人間がするだけなら意味はない。
ただし旅行は、特にレジャーにおいてはエモーショナルな行動であり、人間の非合理的な意思決定や測定不能な結果が大きな重みを持つビジネスであることも事実。旅行を売る側も旅行体験を実際に提供する側も、活路はそこにある。(松本)
旅行のサービスにおいては、人間が出来ていないことも知る必要はないでしょうか。例えば、家族5人でこれからGWの計画を立てたい。親二人子供三人で一緒に泊まれる部屋で、国内、海外は問わない。久しぶりにワクワクするような想い出に残る旅がしたい。その土地のワインを飲みながらうまいものを食いたい。という旅行者の希望に応えて、30分以内にそのお客様が納得できる旅行の手配を整えることができるでしょうか。人間は心を込めてお客様のためにサービスを提供することはできますが、膨大な情報の中から素早く答えを導きだすことは機械にしかできません。旅行業が情報産業としてまだまだ開拓の余地がある部分ではないでしょうか。