昨日たまたま出身大学の近くでコーヒーを飲みながら仕事をしていたら、隣の女性から声をかけられ、タブレット端末でインターネットができなくなってしまったと相談を受けた。それ自体はどうでもいい話で店のWiFiに再接続して差し上げただけなのだが、それで彼女がしたかったことというのがその大学の入学式のオンライン配信を視聴することだったので驚いてしまった。

頑張って(かどうかは知らないが)合格した子どもの晴れ姿を見ることも許されないとは。わざわざふさわしい装いに着替えて学校の近くまで来て、子どもが映ることを期待しながらドトールでタブレット端末の前に座る心中を思うとやるせない。

ワクチンも存在せずウイルスの特性も見えていなかった最初期ならいざしらず、今でもこれは本当にやむを得ないことなのだろうか。ワクチンやマスクへの固執は受け入れるとしても、それらを守ることを条件に入場を認めることくらいできないものか。それすらせずに、感染の増減に右往左往して緊急事態宣言だまん延防止重点措置だと大騒ぎするばかりではワクチン接種が伸び悩むのも当然だろう。

また、以前も書いたが学生たちへの影響も気がかりだ。青春時代の貴重な2年間をコロナの狂騒に台無しにされているわけで、自分の立場に置き換えて考えてみると、例えば高校の最初の2年をコロナ禍で奪われそれから何十年も付き合うことになるはずだった親友たちとの結びつきがなくなっていたかもしれないと思うだけでも恐ろしい。

まあ、もしかすると実際にはしっかりしたたかに楽しんでいるのかもしれないし、多感な時期に大人たちのアホさ加減を目の当たりにした若者たちが逆襲に転じて社会を変えるのではないかと期待もしているが。

…とそんなことを書いていたら、外務省が突然106ヶ国の感染症危険情報を引き下げたとのニュースが届いた。日本旅行業協会(JATA)あたりは知っていたのかもしれないが前触れを感じる機会はなく、最初に知らされた時はこれがどういう意味だったか考えてしまった。

毎日のようにお伝えしている海外の例だと、政府は「長らく待たせたけれども国民がワクチン接種など感染対策に協力してくれ、また世界的にも状況が改善したから実現できた。これは経済回復に向けた重要な一歩だ」とかなんとかアピールするのが定番なのだが、今回の緩和はぬるっと静かに公表されている。

勝手に背景を想像するならば、世界で完全開国した国が全体の1割を超えているなかで人流をこれ以上止め続けるべきではないが、コロナ禍を通して恐怖に縛られ恐怖を利用もして根拠そっちのけで事を進めて来たがゆえに反発も避けらないというジレンマがあり、このような発表になったのかもしれない。あるいは本当は行かせたくないが、時勢に合わなさすぎる水準は固持できなかったか。

とはいえ、いずれにしても往来の再開にとって前進は前進。「渡航は止めろ」が「不要不急なら止めろ」に変わったわけで、通常の危険情報では後者でも行動に出た旅行会社の事例があるし、FITはワクチンを接種して自己判断で行く人も出てくるだろう。ましてや出張は格段に行きやすくなる。

ウクライナ情勢や航空運賃の高騰など懸念は残るが、大きな変化と言えるはず。後は、人流が戻るとともに感染者の数に変化が出ることが容易に予見できるなかで、どのようにして完全な後戻りを避けるかが重要だ。(松本)