「一難去ってまた一難」ということわざがあるが、旅行観光業界はコロナ禍という万難くらいの災厄に2年も翻弄され、それが去らないうちに同じくらいのインパクトがあるかもしれない戦禍に見舞われた。なんという理不尽かと思うが、これもまた人生としか言えない。
コロナ禍、戦禍と「禍」の付く状況が続いているが、別のことわざでは「禍福は糾える縄の如し」というのもある。果たして本当に同じくらいの福は訪れるのだろうか?こういう状況だとむしろ二度あることは三度ある、泣きっ面に蜂になりはしないかと身構えてしまう。
とはいえ最近は、メールや当欄でも色々書いている通り、マクロ的視点で考えればこれまでの歴史にも無数の人々の山のような艱難辛苦が織り込まれていること、現在の世界もその過程に過ぎないことを実感している。歴史の教科書では話が数十年飛ぶことなどザラにあるわけで、例えばベルリンの壁は作られてから壊されるまで28年以上も市民を分断していた。
自分が生きている間の世の中がどうであるかはただの運ということだ。これはつまり「なるようにしかならん!」という諦めであり、これが努力の放棄だとすると後ろめたいが、人事を尽くして天命を待つとも言うし、少なくともこのような逆風には適した心の持ちようではないかと感じている。
それに、「人事を尽くす」ことについて諦めるつもりは毛頭ない。戦争発生のリスクも冷静に見定めつつ平和の希求は続けるべきで、無力感にさいなまれるとしても声を上げ行動することを止めたくはない。
前段で歴史の振り返りから来る諦観について書いたが、逆に言えば日本国内で地方同士が対立しあい殺し合うような時代が再訪することはさすがにないだろうと思われるわけで、地球規模でそうした「普通」が成り立たないとは言えないはずだ。
人事を尽くしたい思いは、コロナ禍に対してはさらに強く、これまでも主張してきた通り一般メディアが無理やり恐怖を煽るのに対し、合理的な対応を訴えていきたい。
なお、旅行業界へのコロナ禍の影響はそう遠くないうちについに解消へと向かいはじめるだろう。世界がエンデミックへと足並みを揃えつつあり、これまでの2年間は3歩進んで2.5歩下がるような進み方だったが、今は5歩も6歩も進むようになっているところ。ウクライナ情勢がどのように旅行需要を左右するかは不透明で、その意味でもロシアの蛮行が憎くて仕方ないが、よほど危険な変異株でも出てこない限り2、3歩下がることはあったとしても前進は止まらないはずだ。
日本も、(旅行観光産業への十分な補償を積んだ上で)世界の潮流を横目に鎖国を続ける道もあるにはあるが、3月1日の水際対策緩和から数日のうちに再緩和の方針が示されたことからして、そうではない道を選ぼうとしていることが明らか。天命の方が先に開けてきていると言えそうな状況で、後は人事を尽くすのみだ。(松本)